はじめまして、森口裕貴です。当ブログを訪問していただきありがとうございます。
僕は現在、舞台や映像の役者業、物語の執筆、シンガーソングライターをしています。
つまり芸事ですね。
これだけを聞くと「何て華やかな世界なんだ」と思われるかもしれません。
今でこそ僕は、人前に立って表現をする、創作をするということが、当たり前になっています。
ですが、そんな「当たり前」に辿り着くまでの道のりは、決して華やかなだけではない、葛藤と自問自答の連続だったのです。
このブログを見ていただいているみなさんに「森口裕貴」という人物が、一体何を考え、何を発信しようとしているのか。
それを知っていただけるよう、ここでは、僕の生い立ちや今までの活動を綴っていこうと思います。
どうぞ、お付き合いください!
僕の略歴
森口 裕貴(もりぐち ひろき)
1987年生まれ。いて座、A型。奈良県出身。
・2003年 高校で軽音楽部に入部。当時青春パンクというジャンルが流行している中、太陽族の曲から影響を受け、バンド名を「クソガキ」に決定。校内とライブハウスでバンド活動を開始。自身はボーカル、歌詞、曲作りを担当。
・2005年 10代アマチュアミュージシャンの祭典「TEENS MUSIC FESTIVAL 2005 奈良県大会」で出演28組の中から最優秀賞を受賞。その後、ドラム、ベースが脱退。ベースボーカルとなり3ピースバンドとしての活動がスタート。
・2010年 5年間で約100本のライブ、10枚のCD制作を手掛けるが解散。
・2011年 独学でアニメ脚本を学び全5話「20日間のシンデレラ」を書き上げる。
・2012年 専門学校入学。アニメーションを学ぶ。同時期に奈良の市民劇団「さざんか」に入団。舞台役者として活動スタート。
・2016年 劇団「さざんか」を退団。その後、大阪の劇団「カンセイの法則」に入団。
・2020年 自身で脚本、演出、出演をする演劇ユニット「もりつぼlabo」を立ち上げる。ライトノベル「いつかの夏休み」執筆開始。芸能事務所「OFFICE MINAMIKAZE」に所属。
・現 在 舞台、映像、声優、シナリオ、ライトノベル、音楽など幅広く活動中。
ソーシャルメディア
過去の経歴
幼少期の得意なこと探し
「目立ちたがり屋、プライドが高い、その割に繊細で臆病」
それが幼少期の僕でした。
先生には本当によく怒られていましたね。
小学校の終わりの会では同級生に「今日、森口くんに〇〇をされました。謝ってください!」と言われることが永遠と続き、僕にとっては過酷な時間でした。
女の子を泣かしたり、喧嘩をしたり、典型的な悪ガキって感じです。ただ、ありがたいことになんだかんだ友達には恵まれていました。
今は不器用で上手く出来ないことの方が多いのですが、そんな当時のわんぱく少年は割となんでも出来る方でした。
スポーツは得意、勉強もそれなりに、友達も多い。
ただ選択肢が多い分、結局自分は何に向いているのだろうという疑問は残り続けました。漠然と大人になったら何かをするんだろうなぁ、なんてふわっと考えていたと思います。
小学校高学年の頃、一つだけ今の自分に繋がるようなエピソードがありました。
それはオリジナルのゲーム制作です。自由帳に自分が考えたロールプレイングゲームを作っていました。
ドラゴンクエストやファイナルファンタジーからヒントを得て、オリジナルの登場人物、モンスター、ダンジョン、武器や必殺技を考えて、イラストを描いていく。そして休み時間になれば、仲の良い友達を集めてプレイしてもらう。それが楽しくて仕方がなかったですね。
その結果、どうなったかというと夏休みの宿題には全く手をつけない駄目人間になっていました。ただひたすらに、一人黙々と自由帳にゲームを作っていました。「夏休みが終わったら、絶対にみんなを驚かせてやるぞー」なんていう作家魂に燃えていましたね。
自分で一からものを作り、誰かに楽しんでもらうという、初めての経験でした。
原点、バンド活動開始
「森口くんカラオケ上手いって聞いてんけど、軽音楽部でボーカルやらへん?」
全く話したこともない、他クラス男子生徒の言葉。
高校に入学したものの、特にやりたいことも見つからず毎日に退屈していた僕の前に、彼は突如として現れました。
「軽音楽部? ん? 軽い音楽? 何をする部活? どゆこと????」
といった具合に、僕の頭の中は無数の疑問符で埋め尽くされたのですが、単純にバンド活動をする部活ということを理解した僕はあっさりと入部。
直感的に目立ちたがりな自分の性格に向いているだろうと思ったのです。そして、彼らとバンドを組み精力的に活動を始めることになりました。
バンド名は「クソガキ」
当時メンバーが好きだった太陽族の曲から、この名前にすることになりました。
そして部室の練習で満足がいかなくなった僕たちは、設備の整った校外の音楽スタジオで練習をすることになります。
初めての音楽スタジオ。それは高校生の僕たちからするとかなり刺激が強く、まさに未知の空間でした。
入り口の扉を開けるとタバコの煙が空気中を漂い、派手な髪型の人、腕にタトゥーが彫られた人たちのギラギラとした視線が突き刺さります。あぁ、これがバンドマンの世界なのか。
「怖すぎる……」
はい、僕はビビりまくっていました。けど、そんなバンドマンと呼ばれる人たちが持っている空気感は新鮮で、どこか魅力的だったのです。
文化祭や三年生を送る会での演奏、そしてライブハウスにも少しずつ出演するようになった僕たちは、音楽スタジオに通うことが日課になっていました。
最初は怖かった人たちとも、練習終わりに客席で会えば会話をするようになり、次第に仲良くなっていきました。
ある日、スタジオで仲良くなった人からライブのチケットをもらい、バンドメンバーと観に行くことになりました。
そのステージは、圧巻の一言でした。
大勢の観客が歓声を上げ、腕を掲げ、ダイブをする。そして、アーティストは照明を浴びながら、自分たちの世界を観客に発信する。
スタジオで話していたお兄さんは、まるで別人のようでした。そしてライブハウスという空間で、アーティストはヒーローなんだと思った瞬間でした。
もちろんその頃の僕たちには、実力もなく、ファンと呼ばれる人も高校の同級生くらいしかいません。だから、こんな人たちのようなステージを作るのは無理だとわかっています。けど、今は無理でも。いつか、きっといつか……
自分のパフォーマンスでお客さんを魅了したい。
そんな情熱がふつふつと涌き上がり始めたのです。
そして高校三年生。軽音楽部最後の年。ある大きなイベントがやってきました。
「TEENS MUSIC FESTIVAL」
毎年6000組以上が参加する、十代限定の音楽コンクール。
ヤマハ主催のそのイベントは地区予選を行い、地区大会の上位入賞者が東京で行われる全国大会に進出できます。最終的にこの全国大会で優勝したバンドは、インディーズデビューの権利が与えられるというものでした。
僕たちは、夏休みの時間を全てその大会に向けての練習に注ぎました。
ずっと僕たちのことを気にかけてくれていた、音楽スタジオの店長さんに練習に付き合ってもらい指導をしてもらいました。それは本当に地道な努力。
メトロノームを鳴らしながらのリズム練習、何度も何度も同じフレーズを繰り返す練習。曲に緩急をつける練習、ステージングの練習。
そしてそんな努力が実ったのか、僕たちは奈良県大会出演28組の中から、最優秀賞を受賞することになりました。
ただの高校生だった僕たちが、インタビューを受け、雑誌の一面を飾る。全然実感が湧きませんでした。けど、最初は恥ずかしくて違和感のあった「クソガキ」というバンド名は、この瞬間、確実に多くの人に知れ渡ったのです。
その後、次の関西大会では敗退するのですが、僕の興奮が冷めることはありません。あのステージの上に立つ感覚が、感動が忘れられない。音楽から離れたくない。
もっと作りたい、もっと表現したい。それにもしかしたら、自分なら……。
そんな思いから、大きな夢を描くことにしました。ずっと答えを濁し続けていた自分自信の進路。担任の先生の質問に僕は答えます。
「森口、結局進路はどうするんや?」
「僕、バンドでプロになります」
無謀かもしれない。バカにされるかもしれない。若さゆえの決断。けど、自分なら絶対いける。大会で優勝したという経験は、確実に僕にとって大きな自信となりました。
そして、周りが進学や就職という道を進む中、決して普遍的ではないバンドでプロになるという道を選択したのです。
人生のどん底、全てを失う
高校を卒業した僕は、メンバーの脱退により、ベースボーカルとして約五年間ステージに立ち続けました。
深夜のコンビニバイトをしながら、音楽漬けの毎日。スタジオに通い、新曲を作り、ライブをする。県外のライブハウスでは、無観客の前で演奏したこともありました。それでもそんな日々は、本当に楽しかったです。自分が好きな音楽を続けているという実感を持てたから。
けど、なかなか結果はついてきません。CDの売り上げ、ライブの動員。それは数字となって、今の自分たちの人気を顕著に表しました。
悔しい。もっと多くの人に認めてもらいたい。早くプロと呼ばれるようになりたい。
だから、今まで以上に活動に力を注ぎました。何度も何度も練習をし、何度も何度もライブを重ね、何度も何度も曲を作る。この工程を繰り返していました。
そして、とあるライブでの出来事。
ライブでは曲と曲の間にアーティストがトークをする「MC」と呼ばれる場面があります。僕は今までそのMCで、お客さんに曲の説明や、自分たちが伝えたい思いなどを語っていました。
そんなストレートな言葉が、バンド「クソガキ」のライブの醍醐味だったのかもしれません。
ステージの上に立つ。お客さんにメッセージを投げかける。それは自分の本心です。自分が音楽を通して、他の誰かに発信したかったことです。
最初はそのはずでした。
けど、次第に僕はある違和感に気付いてしまったのです。
「俺は今、本当にそう思ってるのか?」
何度も何度もライブの回数を重ねる内に、ステージ上で話す言葉と、自分の本当の思いが繋がらなくなっていきました。
パフォーマンスとしての決められた言葉、演出としての決められた言葉。自分の言葉は、ただ台本をなぞるだけの表面的な段取りになり、ただステージの上から格好をつけて、それっぽいことを言っているだけ。
つまり、それは自分が本当に伝えたいことではない嘘の言葉です。
自分は一体お客さんに何を伝えようとしているのか? その根本的な部分がわからなくなってしまったのです。
それから、少しずつ歯車が狂い始めました。
ライブが上手くいかない、練習も上手くいかない。僕はスランプに陥り、負の連鎖から抜け出すことができなくなりました。
自分がその状態から抜け出す方法を考え続けました。けど、結局答えは見つかりません。次第に精神的にも病んでいったのだと思います。
そして僕は、曲が作れなくなりました。歌が歌えなくなりました。
当時、クソガキのCD制作は少し変わっていて、自分たち以外に小説家の方、絵描きの方と一緒に合作をしていました。
僕たちの楽曲をベースに、歌詞カードに掲載されているURLをクリックすると小説を読むことができ、その物語のキャラクターがCDのジャケットにイラストとして描かれているというものでした。
けど、新曲を作ってもクソガキのレコーディングは終わりません。なぜなら、僕のボーカル録りがいつまで経っても上手くいかないからです。
クソガキの曲がなければ、物語もイラストも作ることができません。
何度も足掻きました。けど、新曲が完成することはありませんでした。僕は完全に何かを見失ってしまったのです。レーコーディングもライブも人間関係も。何もかもが上手くいかない。
結局、僕は多くの人に迷惑をかけたあげく脱退。その後、クソガキは解散しました。
自分のせいでバンドが解散してしまったという事実。そして、あまりにも無力で情けない自分が心底嫌になりました。
それからというもの、僕はまるで廃人のように自暴自棄になりました。
真夜中に意味もなく外を徘徊したり、車の運転中に対向車のトラックにぶつかって死のうとすら考えたこともありました。
高校からずっと音楽だけをやってきました。だから、その音楽を失ってしまった僕には何も残らなかったのです。
当時23歳。周りを見渡せば、社会人として立派に働き、家庭を支えながら人の親となっている友人もいる。そんな中、自分は一体何をしているのだろうか? 何のために生きているのだろうか? これから何をすればいいのだろうか?
ただ流されるように、バイトだけをする毎日。夢や目標に向かっている中での、悩みは不安はまだましでした。
「やりたいことが何も見つからない」という日々が続くこと。それが何よりも不安で、怖くて仕方がなかったのです。
表現と創作の理由
空っぽの生活が続く中、友人からとあるアニメを勧められました。僕はとりあえずそのアニメを見ることにしました。
最初はただ画面を眺めているだけ。けど、いつの間にかその世界に、人物に、物語に引き込まれていきました。
そして、とあるシーン。主人公は悩んでいる友人にこんなセリフを口にします。
「何時でも、何処でも、何度でも。チャレンジしたいと思った時がまっ白なスタートです。自分で自分をおしまいにしない限り、きっと本当に遅いことなんてないんです」
その瞬間、全身に電気が走っていくような感覚になり、僕は大声を上げて一人泣き崩れました。
まるで、そのセリフが自分自身に投げかけられたかのように、胸に突き刺さったのです。
「こんな自分にはもう何も出来ないと思ってた。やりたいことなんて何もないと思ってた。けど、違う。それを決めてしまっているのは自分自身だ。今からチャレンジしてもいいんだ、遅くないんだ」
そのことに僕は気付かされたのです。
この出来事からもう10年以上が経ちます。けど、僕は今でも思います。
僕は作品に救われました。自分の人生から逃げずに、一歩踏み出す力を与えてもらったのです。
自分が変わるきっかけというものは、沢山あると思います。それは直接的に、誰かから投げかけられる言葉。
家族、友人、恋人、後輩、先輩、先生などです。
けど、きっかけを与えることができるのは、直接的ではない作品も例外ではありません。
本、小説、漫画、アニメ、音楽、演劇、映画、絵、写真。
なぜなら作品と呼ばれるものには、結局人の力が宿っていると僕は思うからです。
僕はこのアニメと出会った時、心から感謝し、こう思いました。
「自分もこんな作品を生み出したい。誰かの人生にきっかけを与えるようになりたい」
それから僕は、絵を描き始め、アニメ監督を目指し、脚本を書き、演劇の世界に飛び込み、舞台の演出をし、役者として映画やドラマにも出演しました。
形は変わりながらも、ぐるぐるとずっと芸術の世界を回り続けました。
自分の考えをただ押し付けるのはエゴだと思います。それに僕は人の見本になるような、大した人間でもありません。けど、こんな考えがあるんだ。こんな人生もあるんだ。そうやって、表現や作品をとおして提示することはできます。
もちろん理想や願望を形にするので、全ての人に受け入れられるとも思いません。けど、どこかの誰かの人生に少しでも響いてもらえれば、それほど嬉しいことはないのです。自分が作品に力を与えてもらえたように、僕も恩返しがしたい。
それが僕が表現し、創作する理由です。
芸術をとおし、まだ見ぬみなさんと心通わせる日が来るのを楽しみにしています。